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窮屈なのね

自分がどう思われているかっていうのは大抵の人は気にしていると思う。
それはこういう場所、つまりはインターネットにおいても。

ネット上って特殊な場所なんですよね。
顔を合わせるわけでもないし、基本的なコミュニケーション方法がこうやって文字を打ち込むことなんですから。みんなが目に見えない存在で、かろうじて文字の向こう側にぼんやりとした人物像が見えるぐらい……
見た目で判断されることがないので、ある意味中身が大事なわけです。
年も性別も国籍も会話が通じる限りはほとんど気にしなくていいんです。現実よりも人間と人間が対等な立場で話すことができる。匿名性というものがそうさせてくれるんでしょうね。
また、現実とは違った自分をいくらでも自由に演じることができます。男でも女のふりをできたり、逆に女でも男のふりをできたり、大人なのに子どものふりをしたり……
良い人ぶってみたり、とかね?

インターネットってある種のロールプレイングゲームなんですよね。
役を作り上げてそれを演じていくというね。
ただ、注意するべきなのは結局「自分」は「自分」ってこと。
根っこは「自分」と繋がってるし、やっぱり現実にあるってこと。
ネットでの「自分」が現実での「自分」とかけ離れていくほど、たぶんそれはあまり良くないと思う。
結局は現実の「自分」が本物というより本体なんですよね。現実にネットがあって、現実を通してネットに繋がるのですから。
現実と似ても似つかわない「自分」がネットに出来てしまった時、果たしてそれはあなたにとっていいものなのかというと、僕はたぶんどちらかの「自分」を否定してしまうことになってしまうからあまりいいことではないのかなと思うんですよ。
ネットで理想の「自分」を作っても現実は変わらない、そしてネットの「自分」に依存していった場合、じゃあ現実の「自分」を肯定できる?
現実の「自分」を理想の「自分」に近づけていけたら最高なんですが……
それって大変だと思うんですよね。

だからなるたけ僕はありのままの自分を書こうとしてます、ここで。
ちょっと思った事がったので、自分自身への戒めとして今日はいろいろ考えながら書きました。
色々考えたけども、まとめ切れそうにないのでこんなとこで。
経験から言ってしまえば、「自分」が乖離すればするほど、窮屈になっていくような気がします。
ネットも現実も。

たった一つの武器?

オンラインゲーム中での話。
チームチャット内の流れで仕事の話題になりました。
「仕事を早くやりたい、素晴らしいことじゃないですか」
誰かの一言で、仕事についてそれぞれ語りだすメンバー……
「その考えは素晴らしいと思うよ」
「仕事かぁ……」
「お金には困らなくなるけど、遊ぶ時間が無くなりますね」
自分はまだ学生なので、特に何も言える事がなくだんまり。
(バイトやっていれば多少は何かを言えたかもしれませんが)
そんな中でやっぱり出てくるのが、
「ゲームばっかりやっていないほうがいいですよー」
「ゲームだけでは駄目ということです」
という意見。
「がんばりましょうってことですな」
と、言えば、「そういうことです」との返答が帰ってきて……

この時点では、ここには書いていませんが、やっぱり勉強はできていたほうが良いという話があったので自分ももっと勉強やるべきだよなと考えていました。
でも、これだけでいいのかなと思ったんですよね。
勉強ができる、ゲームがある。
働くだけならたぶん勉強さえできていればいいんでしょう。
でも、現代ではたぶんそれだけじゃ駄目なんですよね。特に上を目指すなら。
社会が望むのは「他とは違うあなた」で、それは大抵いろんな経験をしていて、何事にも積極的で、いわゆる「魅力溢れる人」なんですよね。
そう考えると自分はずいぶんに消極的で、経験ごとはバーチャル(ゲーム)ばっかりで、いわゆる頭でっかちなビミョーな人……

勉強も大事、経験ごとも大事。
解っている、充分には解っているつもりです。
それでも、自分に他人と違う武器があるとして、磨き上げたいものがあるとするならばそれはゲームなんですよね。
ここでいう武器っていうのは、他人には譲れまいとするものです。
スポーツ、友人関係、音楽……誰にだってひとつぐらいは普通よりも平均的に優れているものを上げることができる何か。勿論勉強だって極めれば武器になります。
そんな中で自分が持つ武器はゲームなんですよ。
変則的かもしれませんが、それこそ今までの人生の殆どを捧げ込んでいるのがこれで、今でも続けているものなわけで……

ゲームってどっちかといえば反社会的なものとしてろ捉えられがちじゃないですか。
事実、「ゲームは一日一時間まで」なんて言葉が流行ったわけですしね。(今でもあるか?)
やるべきことを放り出してまでやってしまうぐらい、他の娯楽に比べれば中毒性があって、夢中になってしまうほどの力があるわけで、世の常としてそりゃあ危険物ですよ。
でも、結局は遊ぶ人自身の責任なんですよね、それは。
逃避の道具としてゲームがよく選ばれるだけで、ゲーム自体は悪じゃないんですよ。
車は便利な道具ではあるけれども、使い方によっては凶器になりうるでしょう。
それと同じように、行き過ぎた入れ込みがゲームを悪に仕立てあげてる気がするんですよね。
科学的な話はまた別として、ね。(ただしゲーム脳は論外)

部活動に青春を捧げた人の話って、充実した話に聞こえますよね。
でも、ゲームに関するその手の話って、「そんなことしてたのかよ」って言われちゃう。
そんなことはないと自分は思うんです。
ただ、普通に人はゲームを遊んで楽しかったで終わってしまうこと。また、上に書いたように世間から見てゲームは否定的に捉えられがちであることが、ゲームから学んだ経験をろくでもない経験としていると思うんです。
ある経験から学ぶことってやり手の姿勢が大事だと思うんです。
本当はどんなことからだって学べることはあるはずなんですよ。


でも最近、「それであんたは何を学んだんだ」って訊かれた時、答えられなかったんですよね。
それが本当に悔しくて悔しくて……
数えきれないほどの時間をゲーム関係に注ぎ込んだかの割に、自分はとっさに答えられるほどには学んでいなかったのじゃないかと思えてきて……
でもそれを認めてしまうと、今までの時間が無駄になってしまう
他人よりも優れているはずの武器が、実はなまくらなんて、どうすりゃいいんだなんて思って。

でも、今更他に武器を持てるかといえばNOなんですよ。
持つことはできるかもしれない……でもそれは磨き上げられた極上のものではないんです。
今まではたしかに無駄になってしまうかもしれないけど、下地がある分やっぱり自分はゲームを選ぶべきなんですよね、たぶん。
だからといってゲームだけとは考えませんよ。
ゲームを中心に色々と学ぶということで頑張るんです。
確かに経験はあるに越したことはないんですよね、それはその人の自信や精神的成長に一役買うものが多いですから。そして経験は自分の中で解釈を付けて意味を見出したほうが有利に働くと。

言いたいことを簡単に書くと、
自分はゲームという武器を通して他人に見えないものを見えるようになりたいという話でした。
もしくは他人が持てないものを持てるかな。

色々と頑張らなきゃね、うん。

選ばれる本

今日は大学で本の整理のバイトをしていました。
重いし、埃っぽいし、暑いし……結構だるい作業でしたね。
読まれなくなった本というか、あまり使われなくなった本の整理ということなんで、普段は関係者以外は立入禁止の建物に入ってやっていたんですけど、まあ本の多いこと多いこと……
図書館だけでも何冊あるんだと思ってたのに、それ以外の建物にまでこんなにもあるのかと驚きましたから。

殆どの本というか、ほぼ全部の本が技術書や指南書だったりするので、あんまり内容には興味がなかったんですけど、作業の合間に適当にとって貸し出しカードを見ると借りてる人がほとんどいない、または全く借りられた形跡がない……
そういうものがあって、かつ、そりゃあそうなのかもしれませんけど、需要があったからこそ本になって、そしてこの大学にきたわけじゃないですか。一回も読まれないままお蔵入りなんて本としてのアイデンティティなしですよ。
人間でいうなら、人生を全く肯定されることなく寝たきり生活ですか。

なんとも言えない寂寥感ってやつがありましたよ。

で、帰ってきたら、ラノベの編集部の話がネットで話題になってるじゃないですか。
ラノベでさえ大量に出てるなあと思いますけど、読まれる本というか、売れてる本なんてごく僅かなわけじゃないですか。
大変だなあと思わずにはいられませんって。
まあそのあと、Webで読める話を読んで同情する気もどっかに離散しましたが。

有名な作家の話だったと思うんですけど、その人は人生で読める本の数を計算して、あまりの総量の少なさに絶望したっていうのを読んだことがあるんです。一生に読める本の数で調べるとそういう話は大量に出てくるので、具体的な数はここには書きませんけど、そりゃあまあ少ないわけですよ。
自分も今から死ぬまでに読む本の数は500冊行かないと思うんですよね。(漫画を除いてです)
となるとですよ、やっぱりなんでもいいから本を読みたいなという気分になった時に選ぶのは、人気の本や、おすすめの本なわけで、よっぽどじゃない限りは冒険しようとは思わないんですよね。
そう考えた時に、本を書くことってすごく難しいんじゃないかって思うんです。
つまりは、選ばれる本を書くことなんですが。

自分の場合は元々は本嫌いだったわけなんですけど、中学に入ってからライトノベルや青い鳥文庫を大量に読んで、ああ読むことって楽しいんだなって思うようになったんですよ。
今となると、もうその類の本を読むのはあんまり好きじゃないんですけどね。
でも、ライトノベルの価値っていうのは解っているつもりです。
結局言いたいことは何なのかはここまで書いておいて自分でもよくわかってないんですけど、たぶんこういうことじゃないかなと。
ほんとうに自分の伝えたいこと、書きたいことを書くべきなんじゃないかって。
お金のためにとか、単なる自己満足とかの場合もあると思うんですけど、それだけじゃあなんか寂しいんですよね。売れなくても、世界中の誰か一人が、僕はこの本を何よりも一番好きだっていう本があったら、その作者さんはすごいし、報われてるんですよ。対して、すごく売れても、なんにも読者に残るものがなかったら、本の意味が無いじゃないかと思うんですよ。全部自分の勝手な価値観での考えた方ですけど。
書き手と読み手が満足してやっと本ということでしょうか。

なんか本と人間が重ねて見えたんで、考えちゃいました。
大学の学園祭で、自分の書いた話を同人的な感じにして売ってもいいとの話があったので、その時になったらまたこういうことを考えるのかな。

突発的よく解らない衝動

ごくたまーにですが、何かに駆られるように何かを作り上げたくなることってありません?
そうでもない?

自分でもよく解らないんですけどもね、あるんですよ。
大抵は言葉にしてネットで吐いてるんですけども。
もし自分が音楽とか絵とか違う形にできる力があったら
また別の形になってたりするのかななんて思ったり。

言葉だと誰でも大体の意味が掴み取れるだけあって
内容によっては重くなってしまったり、誤解されることも多いと思うんですよ。
でも理解してほしい、それもできるだけ多くの人に。
誰にでもできることだけあって難しいですよね、言葉を選ぶのって。
それになかなか多くの人に見てもらうというのも難しいですし。
だからって本当にたくさんの人が聞くよと言ったらプレッシャーが凄まじいのですが・・・

こういう気持ちって誰もが持ってたり持つことがあるんですかね?
不安、発見、喜び、色々ときっかけになるものは違うと思うんですけども。
こんな衝動を抱えたときにその人たちはどうやって昇華させてるんでしょう。

目を背けるということ

見ていて嫌な思いをしてしまうものからは目を背けるべきなのかという話です。

いわゆる臭いものには蓋をしてしまえってやつですかね。
最近まどかマギカというアニメが放送を終えましたね。
魔法少女ものなのに内容が暗いということで話題になりました。
自分は見ていなかったのでそんなに詳しい話は分からないのですが、見ていた友人が言うには
「暗い話はやだね、面白かったし感動したけど」

で、話が変わりますが、ナルキッソスというゲームがあります。
このゲーム、暗いです。
なぜなら舞台は病院で主人公たちは最終的に死にますから。
救いようがないといってもいいかもしれません。
さて、そんなゲームを上の友人に勧めると
「暗いのはやりたくないわ」

なぜ暗いゲームが嫌なのか、じゃあなぜまどかマギカは見たのか尋ねると
「過程が違う、まどかマギカを見てから暗い話は無理だ」

自分も暗い話はあまり聞きたいものではありません。
昔からテレビのドキュメンタリーかなんかで不況を生きる人たちやら貧しい国の人たちやらそんなものが放送されると急いでチャンネルを変えてたタイプですから。
ですが現実ではなく創作されたものとなると話は別です。

それはきっと想像上のお話だからなのでしょう、登場する人物たちが悩み苦しみ無残に死のうとも、悲しくはあっても受け止められます。
ですが、作者さんが何を言おうとしているかは考えるようにしています。
やっぱりお話っていうのは、伝えたいことがあるはずなので、それを感じ取れるように。
ナルキッソスの場合、上では救いようがないかもと書きましたが、自分は全然そう思ってはいません。
むしろこれは前を向けるように生きるためにある。
そう思ってます。
たとえ物語の終わりが死であったとしてもです。

一か月前は地震がありましたね。
被害にあわれた人も多く、今でも問題は多く残っています。
ニュースでは淡々と流されていますが詳しく見てみれば必ず重い話。
ですがそれでもいいのかもしれません。
暗い話ばかりで実際に気分がひどく落ち込んでしまった人もいるそうですし、誰もが容赦のない出来事を受け止められるとは限りませんから。
知るべきなのか、知らないでいてもいいのか?
単純にどっちがいいとは言えません、けれども自分はやはり知るべきだと思います。

伝えるべきことっていうのが一般的に悲しい話とされるものには多かれ少なかれあると思うんですよね。
知ったとしてもそれに気づくかどうかはわかりませんし、受け止め方だって人それぞれでしょうけどもね。

自分も偉そうなことは言えない人間ですが、やっぱり悲しみの中で何もできずに悔しい思いをして、そしてそんなやりきれない思いを誰かに伝えたいと思うことはあると思うんですよ。

結論としてはよく解らなくなってしまいましたが、なんにもすることはできなくても、きっと話を聞いてあげることぐらいなら誰でもできますよね・・・

テーマ : 日記・雑記
ジャンル : ゲーム

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