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自身が思う自分という像と、他人が思う自分という像って結構違う。
そしてそのイメージの差っていうのはいい方向にも悪い方向にも働いている気がする。
最近、優しいねなんて言われたけど、そんなことないと思うんですよ。
ただ人として醜いといわれる面を隠しているだけで、
ホントはもっといけ好かない事結構考えていたりするもんですから。
具体例を上げると好ましくない事が多いので伏せますけど、
やっぱり自分はあまり褒められた性格ではないという気がします。
なんでそれなのに優しいなんて言われるか不思議不思議。
まあ、他人の心なんて覗けるはずもないし、
あくまでその人の行動と言動からその人の像というものを
作り上げていくしかないわけですから、
そう考えると他人から見て自分は優しい人間なのかもしれません。
でも、それはあくまで一面を見て作り上げられた像なんですよね。
だからその像らしくない事をしたりするとひどく驚かれたり、落胆されたり
また逆に喜ばれたり、感心されたり……
素であり続ければきっとギャップ差なんて出来ないのでしょうけれど、
年をとるに従って処世術、もとい必要悪とも言えるような嘘のつき方を覚えて
誰だって多少なりとも本音を隠し演じている自分を作り上げていくものですからね。
ギャップ差を作らないというのはたぶん難しい。
でも、優しいと言われてああ自分は優しい人間なのかと思えて、
無理なく優しい人間に近づけていけるならそれはそれでいいことなんでしょうね。
優しい?どこが?なんて考えて、じっと自分の汚れた場所を見続けたって、
どうにもなるはずありませんしね。
まあほとんどゲームでの話なのですけどね。
思っていたよりも自分は周りに気に入られてる(?)ようですし、
(もしかしたらそれは場の流れに合わせて面白がられた結果で、
本当は別になんとも思われていないだけなのかもしれませんが)
好意を向けられて嬉しくないはずがないし、好意を返すことで
誰もが幸せになれるならば流れに乗るというのもいいのかもね。