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卵の見方

ドーナツってありますよね、食べ物の。
輪っか状で真ん中に穴が開いてるあれです。
人間は成長するにしたがってドーナツの見方が変わっていく。
そんな話を国語の論説文の問題で読んだことがあります。
子どもの頃はドーナツ自体(穴も実体も)を楽しむ。
少し年をとると、ドーナツの穴について考え始める。
大人になれば、穴のことなんか気にせずドーナツを味わう。
その文章が何を言いたかったかについてはもう忘れてしまったのですが、
このドーナツの見方の話が個人的に面白かったのでこの部分だけよく覚えてます。
子どもの頃は無邪気なもので、ものそれ自体に意味などを求めずありのままを受け入れる。
「輪っか状で穴があっておいしい、それがドーナツ」
多感な時期になってくると、特に意味などないものに意味を見出そうとする。
「この穴は僕にとって自由を意味しているのかもしれない……」
大人になると賢くなっているものだから、無意味なことなんて気にしない、
実益となるドーナツの味を楽しむようになる。
「ドーナツは食べ物であり美味しい、穴に意味は無い。それ以上でもそれ以下でもない」
勿論誰しもこのパターンに当てはまるというわけではないですけれども、
この話を読んだとき自分は実にしっくり来る話だなと思いました。

人によって物の見方ってぜんぜん違うんですよね。
この話を読んだ時に自分が思ったのは「卵の見方」についてでした。
良い卵か悪い卵かを見分けるという話ではなく、人によって同じ卵でも、
違うものを見出しているのではないかという考えです。
「卵ってどんなもの?」と尋ねられれば一般的に人々は、
白くて楕円形の丸い卵、鶏の卵を思い浮かべるでしょう。
ではその白い卵を真っ黒い空間上に、
丸みを帯びた部分を下に、尖っている方を上にして立っているとします。
近くで見ればそれは間違い無く「卵」ですが、
離れてみれば「白い丸」になり、もっと離れてみれば「白い点」になる。
視覚的に捉えた物理的な形状による見方もありますが、
内面から見た卵の見方も人によって変わります。
コックから見れば「食材」。
親鶏から見れば「我が子」。
暇を持て余した人から見れば立てるべき「遊び道具」。
思春期の少年よろしく「可能性」だなんて抽象的事を言う人もいるかもしれない。

見方も大事なんですけど、ちゃんと卵を見ているかも大事だと思うんですよ。
平面的に卵を捉えて普通の卵だなと判断するのは早いのです。
裏側を見てみればペイントされてるかもしれないし、穴が開いているかもしれない。
そもそも卵の中身がどうなっているか割らないと分からないということでも、
思っていたものとは違う卵かもしれないわけですからね。
ゆでたまごかもしれないし、ひよこかもしれないし、色付けされた黄身かもしれない。

状況や価値観によって同じ物を見ていたとしても、それは違うものになりえるんですよね。
半分の面だけ赤く色付けされた卵を用意して、
AさんとBさんが向かい合う形でいて、その真中に卵を置き、
Aさんが何もされていない面を見て、Bさんがペイントされている面をみれば、
Aさんにとっては普通の卵になるし、Bさんにとっては赤い卵になる。
「半面だけ赤い卵」が正しいのかもしれないけど、
もしかしたら中身は普通に黄身じゃないかもしれない……
しかもその玉子が見た人にとってどんな意味を持つかはまた変わってくる……

でもなかなか物事の全貌なんて把握できないし、
把握できたとしても正解に導けるわけでもないんですよね。
でも、それはそれでいいのかもしれません。
自分が納得できるかどうかなのかもね。
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自身の中の自分と他人の中の自分

自身が思う自分という像と、他人が思う自分という像って結構違う。
そしてそのイメージの差っていうのはいい方向にも悪い方向にも働いている気がする。

最近、優しいねなんて言われたけど、そんなことないと思うんですよ。
ただ人として醜いといわれる面を隠しているだけで、
ホントはもっといけ好かない事結構考えていたりするもんですから。
具体例を上げると好ましくない事が多いので伏せますけど、
やっぱり自分はあまり褒められた性格ではないという気がします。
なんでそれなのに優しいなんて言われるか不思議不思議。

まあ、他人の心なんて覗けるはずもないし、
あくまでその人の行動と言動からその人の像というものを
作り上げていくしかないわけですから、
そう考えると他人から見て自分は優しい人間なのかもしれません。
でも、それはあくまで一面を見て作り上げられた像なんですよね。
だからその像らしくない事をしたりするとひどく驚かれたり、落胆されたり
また逆に喜ばれたり、感心されたり……

素であり続ければきっとギャップ差なんて出来ないのでしょうけれど、
年をとるに従って処世術、もとい必要悪とも言えるような嘘のつき方を覚えて
誰だって多少なりとも本音を隠し演じている自分を作り上げていくものですからね。
ギャップ差を作らないというのはたぶん難しい。

でも、優しいと言われてああ自分は優しい人間なのかと思えて、
無理なく優しい人間に近づけていけるならそれはそれでいいことなんでしょうね。
優しい?どこが?なんて考えて、じっと自分の汚れた場所を見続けたって、
どうにもなるはずありませんしね。

まあほとんどゲームでの話なのですけどね。
思っていたよりも自分は周りに気に入られてる(?)ようですし、
(もしかしたらそれは場の流れに合わせて面白がられた結果で、
本当は別になんとも思われていないだけなのかもしれませんが)
好意を向けられて嬉しくないはずがないし、好意を返すことで
誰もが幸せになれるならば流れに乗るというのもいいのかもね。

通じればOK?

ある人に
「あなたはデジタル耳年増ね」
なんてことを言われて否定できずにハハハと笑うばかりだったのですが、
ちょいと思うことがあって調べてみたところ、耳年増の意味は
聞きかじりの知識だけが豊富な若い女性。多く、性的な知識についていう。
だそうで。
おいおいちょっと待ってください、自分は男ですよと言いたいとこですが、
ニュアンス的には通じているんですよね、これ。
ようするにいまどきなむっつり野郎ってこと。

昨今では若者の言葉の使い方が嘆かれていますが、
案外言葉というものは移り変わることが多いようで、不自然な訳でもないらしいですね。
例えば「全然」の使い方とか。
全然あり!とか全然OK!とか最近はよく使われていますよね。
全然駄目!とか本来は否定する際に使うと言うのが世間での正しい認識なのでしょうが、
明治ぐらいの頃は肯定にも使われていたようです。

そんな話を聞くと、間違えた使い方で言葉を使うのか、
本来の意味で使うべきなのかと考えたりするのですけども、
まあ知っておいたほうがいいぐらいなのかなとも思ったり。
確信犯とか、考えが煮詰まるとかね。
興味があったら調べてもらうと解りますが、誤用としての意味が広がりすぎていて
普通に使われるようになっている言葉も結構あるんですよね。

一番大事なのは話し手の意図が聞き手にどれほど伝わるかっていうことでしょうしね。
「こんにちは」と「こんにちわ」の違いとか
「すいません」と「すみません」の違いとか
上の話とはちょっと違いますが、どっちが正しいかというよりも、
どっちの言葉(意味)についても理解していることのほうが重要だと思うんですよ。
そのほうが柔軟に対応できる……という気がします。

ま、ふいんきとかはさすがにないかなとは思うんですけどね……
疑問に思ったらなるべく言葉については調べておきたいところという話。

ボケとツッコミ

ドラクエでチームに所属してから早4ヶ月ほどでしょうか。
チムチャに参加するようになって、程々に喋るようになって、
チーム自体の人たちも増えていって……
そんな中気づいてみればチームにおけるツッコミポジションに収まっている自分。
いつからこうなったんだっけかなあと思いだそうとしても
記憶はぼんやりとしたもので、いつの間にかとしか言い様がないのでした。

最初は会話を拾うようにしようと思ったのがきっかけだったのかな。
ネトゲのチムチャって話さない限りはいないのと同じようなものですからね。
喋るのはそんなに得意ではないし、さてどうしようかと思った自分がやったことは
相槌を打つということでした。
「はい」や「いいえ」や「w」でも、会話の中には入れるわけですが、
それは自分はここにいますよというアピールでもありますし、
また、あなたのは話を私は聞いていますよという意味でもあるわけです。
意識して相槌程度の反応をする。
それを心がけていた中、ある時の人数が少ない時間のこと。
独り言のようにポツポツと誰かが喋っていることに相槌を打っていたら
反応してくれる人がいるといいもんだねと言ってくれる人がいたことは今でも覚えてます。
申し分け程度の反応でもお互いにそれを嬉しく思えたということに喜んだっけ。
要は相槌でもお互いの存在を肯定できるということです。
実体があってすぐそばで一緒にいるというわけではなし。
それぞれ別の場所にいながらも話すということは、
喋った時に反応が返って来なければ否定されているようなものなのでしょう。
自己の存在の容認と相手の存在の容認、双方ともに在るということを受け入れる。
それがチャットにおける会話ということなのかもしれません。

ボケにツッコミを入れるのもたぶんおんなじ感覚。
ボケは否定するものですが、ボケをした相手のことは肯定するわけですからね。
会話とは言葉のキャッチボールです。
普通のキャッチボールはお互いに向き合って投げ合えばいいものですが、
ボケの場合はちょっと違います。
というのもボケはパフォーマンスのようなものです。
言うなれば、ボケをする人とツッコミをする人だけで成り立つのではなく、
見る人達がいて、一連のキャッチボールをする様子を楽しんでもらうわけ。
だから多少暴投気味のボールを投げられたって心よく取りに行くってことが大事なのかな。
見ている人たちは変化球の軌道やそれを必至で取りに行く人の様子、
お返しとばかりに力を込めて投げ返す受け取った人の様子を見て楽しむ。
たぶんこんな感じがチャットでのボケとツッコミってやつなんだと思う。

でも、ボケだって考えなしに変な球を投げるのはよくなとは思いますけどね。
自分ってすごいでしょと言わんばかりにおもいっきり遠くまで投げたり。
絶対に受け取れるのは無理っていう魔球を投げたり。
やたら拾いに行くのが面倒な場所に何度も何度も投げたり。
バリエーションのない球種で、しかも同じ場所に投げ続けてたり。
拾ってもらえることを当然と思わないで、自己満足の投球するなんて、
受け取る人も嫌になるし、見ている人からしても快くはない。
原点は相手を見据えて受け取れるように投げるということですから、
それを忘れて自分のためだけにっていうのはいただけません。

要は自分の存在を肯定してくれ!自分を見てくれ!ということなんでしょうね、そういうのは。
かまって欲しいという気持ちはわかるけれども、
ボケはみんなを楽しませるため、喜ばせるためのもの。
かまってアピールはその人のためだけのもの。
ボケをかまってほしいアピールに使うのは程々にして欲しいところです。
するなというわけじゃあないんですけどね、話す人が多くなるに従って、
延々とボールを拾うのも体力が追いつかなくなって億劫になるわけです。

普通に程よくボールを投げていれば大抵は誰もが受け取りに行くようになる。
だけど、ひたすら悪球投げていたら、普通に受け取ってもらえるボールだって
取りに行きたくなくなるのが人情ってもんです。
たまには受け手に走って相手の気持を理解するのも大切ということ。

そうは言っても自分だってそんなこと言える立場にはないんですけどね。
面白い切り返しなんて全然できないし、体力だけのゴリ押しツッコミ。
でも人よりは控えるようにしているつもりだし、
ちょっとぐらい厳しいこと言ってもいいかなと思うわけです。
うぇー。

自分は投げられたボールを拾って投げ返すことを心がけます。
なるべく球を拾うようにしたいものですが、しないかもしれません。
また、あらぬ方向へ投げ返すかもしれません。
至らぬ点が多いツッコミだけれども、このポジションの居心地はいいので
これからもよろしくお願いします、そんな感じ。

モノにして活かす?

明日から5日間が学祭期間ということで、一応5連休。
勿論完全なお休みの日もあれば、せっせと働く日も。
今日は学祭に備えての準備ということで少しばかり頑張ってました。

さて、そんな中で先輩に聞いた話。
学祭実行委員なるものがあるのですが、彼らをちらりと見て4年の先輩がこういったのです。
「あの連中の中には面接の時に有利になるからと言った理由だけでやっている連中もいる。だからサボっている奴も多いんだ。面接の時にやってました(キリッ)だけでは絶対に落とされる。そこから君は何を学んだんだと突っ込まれると途端に喋れなくなるんだ。だから俺は積極性を重視して、学祭の活動に参加したくない人は参加しなくてもいいってことにしてる」
つまりは、自主的に動く中で自分なりの経験、
あるいは発見をして自分のモノにしろということでしょう。


うーん、確かにやるだけでは駄目なんだろうなとは思います。
父親から聞いた話では、
「大学院の面接をしたら最近の学生が酷すぎて消去法で選んだ」
なんて話を聞いたので。
いかにも立派なことを言っている人に対して、
ちょっと中身にツッコミを入れると本当に喋らなくなるそうです。
事前の用紙に外国に行ったと書いてあったから、
そのことについて聞いたら何も喋らなくってびっくりしたとのことも。
意識の持ちようってやつがきっと重要なんでしょうねえ。
この経験が自分にとってどのように活かされるのかを意識するべきということです。
自分が何を何のためにやっているかをはっきりと認識している人は強いってこと。


さて、少し話は変わりますが、最近ニンドリのバックナンバーを読み返していたりします。
忙しかった期間が結構長かったですからね、
吟味して読むってことが出来ていなかったので、
書いてある情報に関して今更気づくものもあったりなかったり。
例えば2012年10月号の楽曲魂。
ここ流し読みしてたので気づいてなかったんですが、風のイオナさんが書いてたのね。
ツイッターにてニンドリで書いたーと呟いてたのは覚えてたのですが、
どの記事を書いていたのかは解らなかったんですよ。
でです、並木学さんにスポットライトを当てているわけですが、自分は全然知らない……
ということでさっきまで調べてたんですが、結構知っているゲームの音楽作ってる人だった。
とりわけ驚いたのが、でじこミュニケーションの作曲担当……
キャラゲーとおもいきやゲーム自体が面白くて音楽も結構良かった作品ですから。
今はM2に在籍してるっていうのも驚き。
とかく何が言いたいのかというと、与えられるだけじゃ駄目かなってことかな。
物事を受け取り、それに対するアクションをするだけじゃあ足りんのでしょうな。
上の話では、学祭に参加するといって、参加するだけでは駄目。
ニンドリを買ったからといって、読むだけでは足りないというか、
買って読んで興味を持って調べて自分の知っているものと結びつけて、
やっと並木学さんという人が自分の中で像として見えたわけです


並木学さんのことに関して自分の中でモノになったかというと、おそらくは。
今後M2が出すであろうゲームの作曲者は彼だと解りますし、
彼がどんな音楽を奏でるかが想像しやすくなったということでね。

なんかこうやって書くと、
「ニンドリ読むだけじゃ駄目なのかよー」
なんて言われそうですが、そんなことはないです!
ただね、ゲーム好きとして、もっとゲームのことを知りたいと思う人間であるならば、
ニンドリをきっかけにもっともっとゲームを知るべきなんじゃないかなーなんて思うわけです。
あくまで個人的な考え方。

因みにニンドリ今月号に投稿したドラクエの写真が載ってたので嬉しかったです。
他の写真にもちらほら写ってたし、久しぶりに載ったなあと。
完全なプチ自慢、ご愛嬌ということでここは一つ。
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